五色桜とレーガン桜の歴史

  • 2022年3月18日
  • 2022年3月22日

国境を越えた里 帰り

明治時代、足立には「千住の桜土手」「荒川堤桜」「中川堤の桜」が相次いで誕生しました。その中でも、江北地域の人々が明治19(1886)年に植樹した江北の荒川堤桜は、様々な品種の桜が、白や黄色、淡紅や濃紅色に彩られ五色の雲のようにたなびく姿から「五色桜」と呼ばれるようになり、東京の名所となっていきました。

有名になった荒川堤桜は明治4 5(1912)年2月19日、尾崎行雄東京市長からワシントンへ寄贈され、ポトマック河畔に植樹されました。

しかし、同時期に荒川放水路(現荒川)の建設が始まり、荒川堤桜の多くが滅失し、また戦時中の物資不足の中で姿を消していってしま ったのです。

 


戦後、その失われた桜の復活を目指す動きが始まります。


昭和56(1981)年、区制50周年記念事業として行われた桜の里帰り事業では、戦前に桜を贈ったポトマックの公園から桜の枝を採取し、30品種以上3,000本の「桜の里帰り」を実現させました。

また、この事業の一環として、ワシントン桜まつり名誉会長だ ったナンシー・レーガン大統領夫人からソメイヨシノの桜が1本、足立区に寄贈されました。

この桜は「レーガン桜」と呼ばれ、昭和59(1984)年、都立舎人公園に植樹され、今も花の時期には公園に訪れる人々を魅了しています。明治時代の東京の名所であり、戦後の里帰り事業により復活した「五色桜」は足立区歌の中でも歌われており、区の桜の歴史の象徴となっています。

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